旅のカケラ―インド・ラダック3
こんばんは。今日は、懐かしい本に出会って、新たな扉が開いた気がする、doraです。
はてさて、本日は旅話の最終会です。長く続くお話でしたが、今回旅の山場をここで一気にお話して終わります。まだまだ話尽きないカケラはたくさんありますが、それはまたいつか!では、ラダック旅の最終回をどうぞ!
最終章 ラダッキーとの出会い 素朴な人柄に心動かされる
瞑想は、日本でも10日ほど受けたことがある、ヴィッパサナー瞑想というものだ。自分のいつもの生活から離れ、瞑想に集中する。そんな時間をインドでもとってみたいと思っていた。旅の最中だったので、3日というショートコースながら、衝撃的だった。まずは、日本人がここでもいない、それはいいのだが、外国人が私一人なのだ。ほかは現地のラダック人。おかげで、現地のラダック人(ラダッキーと親しみを込めて呼んでいた)たちと、瞑想後に話せたことが、その後街で過ごすポイントになった。
そして、ロケーション。岩肌が突き出た荘厳な場所にデンとある場所で過ごすことの不思議さに夢を見ているのかと思ったほどだ。
瞑想で出会った人の中には、レーの街に住む人が多かった。ゲストハウスを営むおばあちゃん、図書館のボス、それが私が今でも感銘を受けた2人との出会いだった。
一人目のゲストハウスのおばあちゃんは、ヴィッパサナーフリークで、すでに10日間のコースを10回以上受け、(ヴィッパサナー瞑想を広めたゴエンカ氏の元でも受けたことがあるらしい。なかなか受けられない)もうこんなにも素晴らしい人がいるのか?と思うほどに柔らかく優しいおばあちゃんだった。私の無茶振りにも答えてくれたりした。そんなおばあちゃんのお人柄あってなのか、このゲストハウスに泊まっている人はみな素敵な人ばかりだった。
もう一人目は、図書館のボス。最初は強面だったので近づきがたかったが、気さくに話しかけてくれる素敵な人だった。後日彼の働く図書館に遊びにゆくと、みんながちょうど午後のおやつを食べていて、ほらあんたも食べなさいよ、とカンビル(小麦と水を溶かして焼いたもの)とチャイを出してくるので、思わず目を疑った。ここ、図書館だよな?と確認すると、そうだ、ここはそういう図書館なんだ、と落ちたカンビルのかけらを手で払いながら答えるおばあちゃん。なんだか和気あいあいとアットホームな図書館がこの街の中心図書館というのは面白い。
私がその後気に入って何度も何度も足を運び、ラダック語を習得しようとひたすら聞いてくるものだから、しまいには図書館のおばあちゃんが外国人用のラダック語の本をプレゼントしてくれて、さらに好きな場所になった。
そして、ボスはほんとに人がよく、家族のため、人のためにいろんなことをやってあげられるナイスガイだった。一度街中で彼と彼の奥様が連れ立って歩いているのを見かけたとき、なんてキュートな2人なんだろうと思った。こんなにかわいい夫婦がいるものなのか、そんな気がした。こうやって素朴に過ごす人がいるなんて素晴らしい。そう思った。
ラダックの旅は、何が自分に大切なのか、それを探し求める旅立った。ヒヤヒヤしたり、怖かったり、幸せだったり、人と会って話したり、美味しいもの食べたり、文化を紹介し合ったり、ともにこれから何をするか考えたり、一人モンモンと悩んだり。そんなふうに迷いながら、でも自分らしい旅をしていたと思う。探し求めていた答えは、結局見つかったような、見つからなかったような。でも、きっと探し求めるプロセスが大切なのかも、そして自分はそれが好きなのだ。これからも自分を探し、見つかったと思ったら、また探すのかもしれない。それもそれで悪くない。素朴な生活とドキドキする旅が同居した、ラダックの幸せな時間を胸に、私は日本へ帰っていった―。
…ということで、ラダック旅のお話、いかがでしたでしょうか。人との出会い、ドキドキする体験は、きっとみなさんがどこかへ旅したときにも、それぞれの旅のカケラがあるのだと思います。
とりあえず一度ここで旅の連載は終わりますが、また旅のお話を改めてしたいと思いますので、よければまた読んでやってくださると嬉しいです。それでは、今日も素敵な夜の旅へ。おやすみなさい。