詩はやがて、歌になる
おはようございます、雨降りdoraです。
6月30日
天気:あめ
昨日、ラジオでライブ音源を流すコーナーを聞いた。1984年の尾崎豊のライブ。
解説してる人が尾崎のことを「血を塗りたくるように歌う若者」と表現していて、ぴったりな言葉過ぎて泣きそうになった。
尾崎豊の歌は、なにげに「ダンスホール」が好きだった。というのは、親の持ってたCDの尾崎豊をさまざまな人がカバーしたアルバムを聴いてて、強くてかよわい女の子の歌詞と歌声がマッチしてたからだと思う。(そのアルバムでは、「ダンスホール」を女性が歌ってた)
まだ持ってたっけなーと押し入れを探したら、すぐに出てきた。アプリやYouTubeで音楽が聞ける時代、CDを手にとったのは久しぶりだった。
ケースを開いて、歌詞カードを見る。
製作者の思いが見開き1ページにわたって書かれていた。製作者の文章が熱さを丁寧に言葉に変えたような、それでいて熱さはそのまんまで、ものすごくときめいた。
昔、ある詩人と話したときに、自分が詩を書くのは、音楽から来ている、という話を聞いたことを思い出す。だから、詩集を出すときは、歌詞カード風にしたいのだと。
今ならその気持ちが分かる気がする。詩(うた)はいつか歌になるんだ。最近は、その話がわたしの頭にずっとちらついてしょうがない。近いうちにわたしの詩も歌になる気がする。
日記風な文章でした◎
(気になる人に
→アルバム名「BLUE A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI」、製作者は須藤晃さん、ダンスホールの歌手の女性はCoccoさん)
それでは今日も素敵な一日を!
dora