鎧とやりたいことの話
みなさん、こんにちは。本日はいい時間を過ごしました、doraです。
生きていると、いろんなことですれ違いがありませんか?わたしはしょっちゅうあります。
それは当たり前のことで、なんなら同じ時代を生きているという共通点があることが違う人との共通点(他にも色々あるけど、最低限の共通点)なのです。
ほとんどのすれ違いは、「その人」が悪いのではなく、ただ「知らない」だけなのではないか、と思うのです。
例えば、わたし基準で、「それは失礼だろう」「やってはいけないことじゃないか」と思うことがあるとします。
それはわたしの中の「常識」で、相手の「常識」ではありません。
だから、相手はわざとそうしてるのではなく(その可能性もありますが)、わたしが失礼と思っていることを「知らない」のです。
知ることに頑張ることは大切ですが、全てを知ることは不可能ですし(その人と同じ思考するわけにもいかんし)、知ることで制限が狭められると恐れることもあるかもしれません(自分は常識外れだ、、、と悩みスイッチ推しちゃう感じ)。
少なくとも、わたしはそう思ってきました。
しかしながら、それを不本意ながら享受して生きる、ということは、多くの人がやっているような気がしてきたこの頃です。
鎧が形成されたのは、初めからそうだったのではなく、置かれた環境の中で生きるための知恵だったのだろうと。(その環境下だと仕方ないこと)
わたしは違う戦法を取っていたに過ぎなかった。
それでしか生きられないと思ったから、そうやってきたのです。
それがスッキリした時に、ああ、そんなものなのか、、、と妙にスッキリした自分がいました。
そんなことに悩むくらいなら、自分のしたいことをどうやったらできるか悩んだ方が100倍ええやん!!ってなりました。
ずるくてもいいから、どんなに小さいことでも自分のやりたいことを見つけて、それに向かおう。
(夢なんてなくてもいい説はありますが、わたしはあった方が楽しいので持ってます。)
やると決めたらすぐに動き出すこと。
やれない、は言い訳にならない。
(字面で見ると厳しい感じですが、本人は至ってゆるゆると直感で決断しています。)
きっとそうなるな、というのはなんとなくわかります。
そうなることは、大体そうなります。
そうならなければ、自分でそうするようにするだけです。
何したらいいのかわからない場合は、とにかく興味あるものの本読んだり、できる範囲で行ってみたり、イメージ沸かせたり、リアルに計画立てて見たり、資料取り寄せたり、小さなことからするといいと思います。
(少なくとも、そんな小さな一歩で、モチベーションが上がった人がここにいます)
今夜もゆっくり休んで、また明日から楽しもうや。
なんやかんや言ったけど、生きているだけで、素晴らしいんやから。
ほな、また。