doraの空想茶室 物草庵

日常のなかに、ホッとするひとときを。

旅のカケラ―アメリカ・オーカス島

こんばんは。今日は暑い日でしたね、doraです。本日も、アメリカ旅の続きをお届けします。

※前回の分を忘れた方はこちらをどうぞ。
https://dorateahouse.hatenablog.com/entry/2020/02/12/195058

本日は、早くも旅のハイライトである、オーカス島で過ごした4日間のお話です。私をはじめ、ツアー参加者みんなの価値観をガラッと変えてしまった島での滞在とは―?それでは、どうぞ!

第二章 旅のハイライト オーカス島での暮らし

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無駄なものは、何一つない
シアトルからフェリーで一時間ほど。カナダの国境にもほど近い島・オーカス島へやってきた。オーカス島は、ソーヤー海さんがかつて滞在していて、とても大切にしている場所だ。
ブロックス(という名前、ファミリーネーム?)3兄弟が島の一部を買取り、移り住んでから30年。何もない場所を開拓し、果樹を植え、パーマカルチャーのデザイン(パーマカルチャーとは合理的かつ持続可能なデザインのこと)を使って作った調理場や小屋やトイレなどの生活施設がある。今はインターンとして、12〜13人がアメリカやカナダから島にやってきては、自分の力で生活する知恵を学んでいる。

写真がすぐに出せないのでお見せできないのが残念でならないが、キチンとそしてセンスよく作られた設備は素晴らしかった。パーマカルチャーは合理的なのだ。地球で無料で使えるエネルギーを借りて、それをうまく利用する。無理なく、手間をかけないようにデザイン、そして美しい。


さらに素晴らしかったのは、コンポスト、つまり堆肥の存在。コンポストの材料である生ゴミは、都会だと排除するイメージが強かった(ゴキブリが出やすくなることや匂いが原因だろうと思う)が、栄養、と捉えればそのイメージはガラリと変わる。土に還せば、それが腐り、分解され、栄養となり土を耕す。そうして、また次なる生き物を育てる、そういう循環なのだ。

百聞は一見に如かずとはこのこと。島でのコンポストは、まさに土の栄養だ!と思った。人間が腐って「食べられる」、「食べられない」に分類わけするから、「無駄」とされるのだ。

「ここには無駄なものは何一つないね」ツアーメンバーの一人がぽつりと言っていたが、私もそう思った。

 

人間って生き物のひとつだった

私がこの島に来てからいろんなことがあった。島を紹介してくれるツアーに参加したり、果物を取りに行くインターン生のお手伝いしたり(行ったときにはリンゴや梨が「どうぶつの森(やったことある?)」のゲームのように笑うほど取れる)、Japan Nightとして島のみんなに日本食を振る舞ったり、テントの中で寝たり、キャンプファイヤーを囲んで語り合ったり、豆むき(単純にまめをむく作業、これにものすごくハマった)をしながら熱い話を語ったり、羊を実際に捕まえてさばくのを近くで見るなど、濃い日々を過ごした。
ひとつひとつが強烈な衝撃を残して過ぎ去っていったが、いちばん印象的な私自身の気づきは、「ああ、人間って生物のひとつだったんだ」ということ。

人間のなかだけで右往左往していた私は、人間の世界しか見ていなかった。虫も、木も、土も、空も、風も、水も、羊も、鳥も、みんなこの地球で生きてて、そのうちの一種類だよ、人間って!とシンプルに思った。この感覚は、今も忘れない。あのときのことを思い出すと、今もすっきりとした気持ちよさと風が吹いてくる―。

 

いかがでしたでしょうか?今回は時系列ではなく、ハイライト的な言葉でまとめてみました。この島での体験は、後々ツアーメンバーともいちばん語り合えた思い出深いものでした。次回は、私の念願のポートランドのお話です。はてさて、ポートランドではどんなことを見てくるのでしょうか?明日をお楽しみに〜。
それでは、今日も素敵な夜の旅をお過ごしください◎