doraの空想茶室 物草庵

日常のなかに、ホッとするひとときを。

今宵、心の旅へ

こんばんは。今日はひとりゆったりしています、doraです。

先日、友人と話している中で内観の話が出てきました。そういえば最近あまりやってなかったなあ〜。そこで、今日早速やってみることにしました。それでは、ちょっと長いですが、どうぞ!


今日はなかなかに激しい心の動きでしたが、ハイライトは悔しさです。自分が何もできないということを知らされるとき、というものはときどきやってきますが、パターンは決まっていて、誰にでも当たり前にできることを指摘されたときに悲しくなっておりました。

文章を作ること、草を刈ること、野菜を切ること、掃除をすること…。みなが当たり前にできることをいつも「違う!」「常識外れだ!」と否定され、自尊心が傷つき、怒りを抑えて悩み考える方へとエネルギーをそそぐ。そうすることで、ぐるぐると結論の出ないことばかり考えて、考え抜いて、そこもまた「考えすぎ」と否定される。

自分がどうでもいいことを大切にする他人とのギャップ。そうして見ていくと、この地球にいる限り、繊細な感覚を持っていなければならず、その感覚が社会を作っているのだと気づいた。わたしが繊細なのは言葉や心だけで、それ以外のみなが大切にしている部分は大ざっぱすぎる大ざっぱだった。他人と自分との差、言葉や感覚の違いがようやくわかってきた(遅い(笑))。だからといって、黙って否定されるのを受け入れるのはやめよう。喧嘩を売られたら、いいタイミングで買っていこう。とりあえず心の中では買っておこう。

過去のわたしなら心の渦に流されてもいい、むしろその中にとどまっていたい気持ち強かった。そうすれば他人も、なにより自分も傷つけずに済む、と。そうしていつの間にか内にこもるようになっていた。徹底的に自分の心と対話してきたおかげで、自分に起きていること、心に寄り添うツールをいろいろ学べ、かつ感情を俯瞰して見れるようになってきたから、悪くない時間だったのかもしれない。

しかしながら、いつまでも悩み考える中にどっぷりとハマってはいられないぞ!と自分で思ったときに変化はやってくる。「くそう!」と言いながら、それに向き合うはめになるけれど、自分がチョイスしてるのだから、文句は言えない。

自分の否もあると認めつつ、とにかくすぐにやってみること。自分の気持ちよさや何に美しいか感じること。ともに働く人、学ぶ人はものすごく大切な存在だ。考え方、生きる姿勢をただともにいるだけで知り合うことができるから。友人、パートナー、家族、同僚、上司、後輩…いろんな縁からヒントや学びを得て、人は自分のやるべきことへと向かうのかもしれない。

やるべきことって何なの?という疑問は常に付きまとうけれど、あまり気負わずに、とにかく自分の根底にある好きなものをいろんな形で表現してゆきなさい。途中曲がりくねって、全然違うことをしていたって、多分根底は、変わらないから大丈夫。ツールは変わってもいいから、とにかく自分の好きなことを捕まえておきなさい。そして、それを小さくてもいいから、どんなことがあっても続けること。そうすれば、それが自分の助けになるでしょう。


はい、長いわたしの心の旅にお付き合いいただきありがとうございました!…なんか貯めてたのかな、自分(笑)これを書いてるわたしは、スイッチがオンになって、自分じゃない誰かが言葉を生み出しているかのように、バーーッと打ち始めました。なによりも自分自身に語りかけたい、そんな言葉だと思います。

それにしても、心のことを書くと、筆がすいすい進みますね(笑)ずーっとそうして自分の心と対話してたからかなあ。心がわたしの友達、なんて書くと相当孤独な人みたいですが(笑)!

そんなちょっと変わったわたしの心のつぶやきでした。みなさん、今宵も徒然草みたいな文章を横目で見ながら、ゆったりとおやすみなさい◎