doraの空想茶室 物草庵

日常のなかに、ホッとするひとときを。

愛と手数を増やす


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こんばんは。本日は働きました、doraです。

今までスマートフォンで文章を打っていましたが、昨日からパソコンのキーボードで文章を作成しております。

わたしの友人の社訓に「愛と手数は世界を救う」というのがあるのですが(笑)、わたしも最近心にとめていたりします。ここからわたしの解釈が始まりますので、興味ある方はぜひ読んでやってください(笑)

愛は、その対象に対してどれほど手をかけてあげられるか、逆にその可能性を信じて手をかけないでいるか、そしてその時間―。
例えば、わたしにとって文章を書くことはどうでしょうか?手をかけて時間もだいぶかけて作ったものと、このブログのようにサッと見返すくらいで作った文章。そのどちらに手間をかけたの?と聞かれると、案外どちらも手間をかけている気がします。
その手間が、文章の構成や文末、できるだけ正確に伝えることにあるのか、自分の伝えたいことを選んで適度な文章を書くことにあるのか、じゃないかなあ…と。

わたしの師匠も「野菜はうまいねん」と言って、料理は素材も調味料もシンプル。過剰なものを嫌います。スパイスや調味料を調合したり、変わった料理を出すことに手間をかける人もいますが、師匠はいかに野菜そのものの味を引き出すかに手間をかけます。
愛とはそういうものかもしれないな、そう思うのです。どちらも、愛。

手数は単純に、ツールとその使い方を知って世界は広がること。例えばわたしがスマホしか使えなかったら、今行き詰っていました。パソコンのキーボードはキーボード、スマホのフリックはフリック、ペンと紙はペンと紙でしか書けないものがある―。わたしは行き詰ったら常に道具を変えて対処してきました。それぞれのツールの得意分野と自分の感覚で選び、変えてきたからこそ、こうやって書き続けられるのだと思います。

それは人生の道にも言えて、これじゃないな、違うなと思ったら自分のツールを変えてみます。例えば自分で決めようとばかりしないようにするとか、人に会ってちがう価値観や世界をみる。そうしているうちに八方ふさがりと思っていたのは自分だけで、案外いろいろできることに気づくのです。

持論に持論を重ねますが、わたしはもうひとつ、声をかける大事さを心にとめています。自分から発言する、声をかけてみることは、しんどいです。内気なタイプにとっては、そうとうしんどいはずです。だけど、それを乗り越えてやってみました。期待せずまずは一声かけること。その勇気に見合ったもの、それ以上のものが返ってくる、今ではそう思います。ダメでもともと、とにかくまず声をかけましょう!

…ということで、本日はここまで!「もう今書きたいことないぞ」と思っていたのに、こんなに書けました(笑)手数、そして愛が世界を救いましたね!

みなさんにも何か響くワードがあればいいなあ、そんなことを願います。

それではみなさん、Have a good dream!